館内のそれほど遠くないところから響く赤子の声を、小山田信有はひとり床の中で聞いていた。
彼の顔のそばには枕がもう一つ、冷えたままで転がっている。

そこにいるはずの女は、泣いている赤子に奪われてしまったのだ。

先刻、壁をいくつか隔てた部屋から赤子の泣き声が響いてきたのは、まさしく美瑠の腰紐を解こうとしているところだった。腕の中の美瑠の体は瞬時に固くなり、小山田は思わず噴き出した。
(……まるで見計らったようではないか)
藤王丸には侍女がついている。しかし、このように気もそぞろでは楽しめまい。小山田は美瑠を離してやった。
「構わん。行ってやるがよい」
「申し訳ございませぬ」
美瑠は乱れた夜着を掻き合わせながら、そそくさと寝所を出て行った。
子供っぽい妬心だが、泣く子のところへ行くというのに、女にうれしそうな気配があったのが、少し気に食わぬ。
(いずれにしても、泣く子には勝てん)
待つのは構わない。ただたまらなく眠い。だが、今眠ると恐らく朝まで目が覚めないだろう。それはつまらぬ。


彼は丸々ふた月、美瑠の側を離れていた。
塩尻峠で信濃守護小笠原長時を降したあと、小山田勢は佐久へと転じ、村上に呼応して武田に叛いた武将の討伐に当たった。
その戦にも勝ちを納め、手勢は弥三郎や家臣と共に郡内へ返したのだが、小山田はそのまま躑躅ヶ崎館の武田晴信のもとに出仕し、戦勝の報告や戦後の処理の評定などに追われていたのだ。

戦へ出立したのは暑い最中だった。今は涼風が立ち外では虫も鳴いている。
眠気をそらすため、部屋の調度に描かれた四季の花々を眺めると、帰って来たのだ、という実感が改めてこみあげてきた。
美瑠をここに連れてきてから、もう一年と少し。いつの間にか彼の中で「帰る」という言葉は、谷村の本邸でも甲斐府中の館でもなく、この小さな駒橋の館に来ることを意味するようになっている。

久方ぶりにここへ帰り着いたのは、この夜半近くのことである。
もともとは、明朝府中を発ち、昼すぎ頃に着く算段で、駒橋にもそのように使いをやっていたが、美瑠の顔をようやく見られるかと思うと、あとたった一夜を府中の館で過ごすことが我慢できなかった。それで、途中から夜道になるのを承知で出立したのである。
「このような刻限に急ぎお戻りとは、なにか大事でもあったのでございまするか?」
出迎えた美瑠は、また急な戦でも始まったのかと、不安そうな顔をしていた。
「何事もない。単に、わしが早うそなたに会いたかっただけじゃ」
小山田が照れる様子もなくさらりと言うと、美瑠はただでさえ大きな目をさらに大きく見開いた。

この顔を見られただけで、夜道を駆けてきた甲斐があった、と小山田は思った。

「なんという無茶をなさりまするか……」
美瑠は呆れ、小山田も苦笑した。
まったくだ、今になってみると我ながら正気とは思えぬ。
府中から郡内へと向う街道は、途中から深い山道である。
笹子峠のような音に聞こえた難所もあり、夜盗が出ると噂される場所もある。山本勘助ならいざ知らず、郡内領主である己が、日が暮れてから駒を進めるなど無用心としか言いようがない。
が、小山田は己のらしからぬ奇行を楽しんでいた。
この女のためならば、どこまででも愚かになれる気がする。
おもしろいではないか。

が、再会の感慨も、己の奇行が吹き飛ばしてしまったかのようだ。
美瑠は小山田の前にひざまずき、せっせと旅装を解いているが、久しぶりに会ったと言うのにまったく口を開かない。
見下ろした美瑠の襟元も帯も少し乱れていた。すでに床についていたのに慌てて身支度を整えたのだろう。
「そなたに会いたい一心でしたことぞ。うれしゅうはないのか」
小山田がからかうように言うと、美瑠の手が止まった。
ちょうど夜気で湿った手甲を脱がせたところだった。
じっと小山田の手に触っている。
「……お手が、冷とうございます」
美瑠の手が小山田の手を包み込んだ。
格別変わったことをされたわけではないのに、心臓が跳ね上がる。
美瑠は責めるような、すがりつくような目でこちらを見上げた。
「二度と、このような危ういことはせぬと、お約束くださいませ」
好きな女に身を案じてもらうのは心地よいものだな、と小山田は思った。
「わかった。もうせぬ」
それほど弱い男ではないと言い返したい気持ちもあるが、志賀城で出会った時以来、美瑠にこの角度で見つめられると、どうも弱い。
が、あやまりながらも、すでに予感がしていた。自分はきっとまた、同じような愚行を犯してしまう。
自分のために困ったり、怒ったりする美瑠を見るのが好きなのだ。
声に誠がないことに気づいたのか、美瑠はまだ疑わし気に小山田を見ている。
小山田は周りで立ち働く侍女の目を盗み、美瑠の艶やかな頬を撫でた。不意をつかれた美瑠の顔が灯火の下でほのかに赤く染まって見えた。


眠気は目だけではなく、肩や背中へも重くのしかかってきた。
あくびをかみ殺した口中には、わずかに美瑠の味が残っている。
なんとはなく悩ましい気分になって、小山田は寝返りを打った。
美瑠はまだ戻ってこない。
藤王丸はまだ泣いている。しっかりした大きな声だ。
戦に出る前、常よりふた月早く生まれ落ちた「我が子」の顔を、小山田はあまりよく覚えていない。無理もないだろう、生まれたばかりの子は目鼻立ちが定まらぬものだから。
あれからふた月。少しは己に似てきただろうか。
不吉な考えが、胸に舞い降りる。
(ふた月も早く産まれた子が、あのように逞しい声を上げることができるのであろうかの……)

孕んだと告げられてから、見る見るうちに大きくなっていった女の腹。
産月よりふた月早くに生まれながら、健やかで体も大きかった赤子。
そして、側に置いてわかった美瑠の真っ直ぐで慎み深い気性。──あのような女が何故あんなにあっさりと敵将である自分に肌を許したのか?
そのどれもが一つの方向を指し示している。
(やはり、あの子は……笠原清繁の……)
それが真実ならば、小山田家にとって由々しきことである。
しかし、自分は美瑠を手放すことなど出来ない。彼女が悲しませることなど出来ない。それは離れていたこのふた月で身に沁みてわかった。
小山田の口元がゆがんだ。

幸いなことに、彼が思い乱れる時間は短くて済んだ。
小山田は、ほどなく赤子の声が静まり、代わって虫の音が聞こえ始めたのも、戻ってきた美瑠が灯火を消す前に己の髪を撫でたのも知らない。
長い道のりを急いだ疲れが小山田を捕らえ、深い眠りの渕へ引きずり込んでいた。


(結局眠ってしもうたのか)
目覚めた時には、部屋には青く清浄な夜明けの光が射し込んでいた。
富士から降りてくる冴え冴えとした大気が、ここが甲斐府中でも信濃でもないことを彼に教えている。
小山田の左肩のすぐそばに美瑠の小さな顔があった。己の右肩を下にし、小山田の左肩にもたれるように眠っている。
首を伸ばして女の懐かしい髪の匂いを嗅いだ後、もっと顔がよく見えるように、体の向きを変えた。
美瑠は華やかな目鼻立ちだが、一城の主の正室であった過去にふさわしい重さと言うか、落ち着いた風格を顔の中に備えている。それが眠ると抜け落ち、妙に幼い顔になる。
小山田はそんな美瑠の寝顔が好きだった。いや、もちろん目覚めている顔も好きなのだが。

よく眠っている。そしてもう少しゆっくり眠らせてやりたい。

が、一方で身のうちに沸き上がる邪念が小山田の指をそわそわと動かしていた。
襟元から覗く鎖骨の窪みが美しい。この滑らかな肌が豊かな乳房に続くのを小山田は知っている。
美瑠の腰紐をもてあそんでいた手が、ゆっくりと彼の方向に動いた。
結び目が緩むにつれて、襟が二つに割れ、深い谷間がこぼれ落ちる。

朝日はまだ昇りきっておらず、光もまだ青いが、明るさは灯火とは比較にならない。
襟元を掴んで布地をゆっくり開くと、艶のある白い絹地が美瑠の背中を滑り落ちた。
何度も抱いた女の体だが、ここまではっきりと見たことはなかった。


白い素肌の上を舐め回る小山田の目が、たちまち欲望を孕んで細められた。
鼓動が美瑠を起こしてしまいそうなほど速く、大きくなっていく。
半開きの唇は熱い息で渇いたが、口中にはとめどなく唾が湧いて飲み下しても飲み下しても溢れそうだ。

肉感的な躯と、あどけない寝顔との落差もたまらぬ。

頬にそっと指を置くと、ぴくりと長いまつげが動いたが、反応はそれきりだった。
安堵と落胆が同時に小山田の脊椎を通り過ぎた。
このまぶたの向こうにある瞳が見たい。
が、寝顔が可憐なので、揺すぶって起こしてしまうのも勿体無い。
(どうしたものか)
独りごちながら、美瑠に顔を近付ける。
口鬚が女にわずかに触れる。
そっと舌を伸ばし、つついてみる。
それを鼻や頬に二度、三度と繰り返すうちに美瑠は、ようやくうっすらと目を開けた。
「……ん」
幾度か瞬いたあと至近距離に小山田の瞳をみつけて、美瑠は無防備に微笑んだ。
ふわり、と音が聞こえたような気がした。
引きずり込まれるように唇を吸うと、むずがるように美瑠が鼻を鳴らす。
少し寝ぼけているようだ。自分があられもない姿にされていることに気がついていない。

小山田が自分の顔に鳥がついばむような口づけを落とすのを、とろとろとまぶたを動かしながら受け入れていた美瑠は、しばらくたってから「あっ」と小さな悲鳴を上げた。
今になって慌てて胸を覆っているが、華奢な手で包みきれるような乳房ではない。本人もそれに気づいたのか、小山田に背を向けてしまった。

きれいな背中だ。
長い髪をかき上げて首の横から胸の方へと回す。返す手で丸い肩を撫でる。
小山田は横たわったまま、美瑠を背後からゆっくり愛した。
敏感なうなじ、悶える肩甲骨、くねる腰を、掌や舌で順番に楽しむ。
背中越しでも美瑠の吐く息が速く、熱くなっていくのがわかるが、素直に愛撫を受け入れるにはまだ矜持が許さないようだ。力の入った体はいつもより固い。
いつものように、触れた瞬間に溶ける体を抱くのもいいが、恥じらう体を無理矢理開かせていくのも興奮する作業だ。

小山田の唇が尻に達した。半球に顔を埋め、尖った鼻をこすり付ける。もう片方には指を埋める。深く。
柔肌をたっぷりと舐めてから甘噛みすると、美瑠の太股がもぞもぞと動いた。
尻に唇をつけたまま脚線を丁寧に撫でる。足裏に触れた途端、美瑠はくすぐったがって足をばたつかせた。
聞いたことのないような愛らしい声を出して笑い悶えるものだから、つい悪戯心が湧き、跳ねる体にのしかかって脇腹や腋下もくすぐってみた。
「やめ……っ、もぅ!!おやめください……っ」
たちまち子供同士がするような掴み合いになった。


美瑠はあっけなく降参して小山田の夜着の袖をつかんで許しを乞うた。
「お許しを!苦し、ゅう、ございます……!」
声は笑っているが目の端には涙が浮いている。
たまらなく愛おしくなって、抱き起こして息が鎮まるまで背を擦ってやると、腕の中の美瑠の素肌に金色の光が射している。
小山田は窓の外をにらんだ。
(もうそろそろ起きるべき刻限か。)

美瑠も外の明るさに気づいたのだろう。急に素に戻って、小山田が脱がした夜着を引き寄せると、胸から下を覆ってしまった。
「殿……そろそろ侍女が参りますゆえ……」
抱き締められているのでそれ以上身支度が整えられないのだ。

──気に食わぬ。
美瑠の声の調子が普段に戻っているのが気に食わぬ。落ち着いた顔が気に食わぬ。
睦み合う相手が、自分より先に我に返っているのを見るのは実におもしろくなかった。

自分も美瑠も、厳格な武家の暮らしぶりが身についている。日が高くなるまで惰眠を貪ることはおろか、戯れあうような自堕落を己に許したことはない。
今日までは、だが。
小山田は続きを夜までは待つのをやめた。

片手でしっかりと美瑠の背を抱いたまま、もう片方の手を乳房へと動かした。
「侍女が参ったらどうだというのじゃ?」
乳房の形を確かめるように撫でながら乳首を親指で転がすと、美瑠はおもしろいように反応した。
「……っ、このようなところを……見られましたら……」
「見られたら、なんじゃ?」
「し、示しが……つきませぬ。天道が登ってから、このように、ふしだらな、…ぁああ、ん」
「ここはわしの領地で、わしの館ぞ。好きなときに好きな女を抱いて、誰が咎めるというのじゃ?」
腫れて重くなった乳首を乳輪へと揉みこむ。指を大きく開いて揉み上げ、たわわな乳房の形を好きなように変える。
「まことに見事な乳房じゃの」
美瑠の両手が伸びてきて小山田の目を塞ごうとした。それほどまでに見られるのが恥ずかしいか。闇の中ではこの乳房を使って様々なことをしてくれるというのに。
「だめ……見ては、いや」
逆効果だ。その仕種も言葉も。

小山田の視線が乳房からなだらかな下腹を通り、体の中でそこだけ色濃い繁みにたどり着く。
(此処ですら、こんなに恥ずかしがるということは彼処は……)
小山田は昂揚しながら美瑠を褥に横たえた。
「……お待ちを……おやめ、ください!なりませぬ!……いや、いやじゃ……っ」
太股を押し開こうとすると、美瑠は期待以上の反応を示した。
(面妖じゃな……好きな女がこんなに嫌がっておるのに、楽しゅうてならぬ。)
口元が笑うのを止められない。
小山田は美瑠の膝頭に手を当てて、丸く撫で回してから、腿を押し広げた。
「そのように大きい声を出すと、侍女が参るぞ?」
易々と美瑠の腿の間に侵攻を果たし、女の複雑な入口を検分しながら言う。
「わしは別に構わんがの」
「……ぃ、や」
美瑠は声を押し殺しながら小山田の頭を遠ざけようとしている。
髪より少し縮れた柔らかい繁みをかき回す。舌を大きく広げ、まずは全体に這わせる。
懐かしい美瑠の味が舌に乗った。湧き出てくる女の体液と、己の唾液を混ぜ合わせながら、舌を尖らせてここか、という場所を舐め回す。夜と違ってはっきりと見えているので狙いがつけやすい。
やがて美瑠の抵抗に小刻みな震えが混じり始めた。
美瑠の太股が幾度も小山田の耳をこする。舌を割れ目から奥へ挿し込んで蠢かすと、その柔らかく心地よい太股が今度こそ小山田の頬をしっかりと挟んだ。
「……ん…ん……っ」
女の花芽を弄ぶ役目を指に明け渡し、小山田は顔を上げた。

そこには、さわやかな朝の光には相応しからぬ、妖艶な光景がすっかりできあがっていた。

乱れて幾重にも波立つ褥の上に美瑠の躯が横たわっている。
窓の格子の影が白い肌の上に落ち、まだらの模様を作っている。
声が漏れぬように片手が口を塞いでいるが、与えられる官能に震えるまぶた、羞恥に歪んだ眉根までは隠せていない。
耳たぶがすっかり桃色に染まっている。
片方の手が助けを求めるように斜め上に伸びて、敷布を強く握りしめている。乳房はその二の腕でいびつに潰されて、深い谷間と柔らかい肉がいやらしく強調されていた。
腰がよじられているせいで臍の形が歪み、ひくひくと蠢いているのが悩ましい。
仕上げに、ほつれた髪が顔や体に幾筋も絡み付いて、その本流の髪の束が床の上で艶かしく渦を巻いていた。

美瑠の目が固く閉じていなかったら、小山田の顔から笑みが消え、白眼がギラギラした光を帯びるのを見ただろう。
戦場で敵に攻めかかるような顔で、小山田は美瑠の手首を掴んだ。
美瑠の口元から手を引き剥がして代わりに自分の唇をあてがう。
音の高さが違う二つの息と、味の違う二つの唾液が美瑠の口腔でめちゃくちゃに混じった。
もっとほしくて小さな美瑠の顎を押さえ舌を吸い上げる。


股間が痛いほど脈打っている。耐えられない。
目的を達するために美瑠から離れると、濡れて光る唇が、もっと、と動いた。
うつろになった美瑠の口の中に右手の指を入れてやると、すぐに温かい舌がぬるりと絡み付いてきた。
夢中で己の指をねぶる美瑠の淫らな貌を、まばゆい光がくっきりと照らし出ている。

もう明るいとか暗いとか、そんなことは考えられなくなっているらしい。
自分がそうしたと思うと、背筋をそくそくと誇らしい悦びが駆け上がる。
小山田の方も、もう限界だ。

美瑠の口から指を抜き、身につけていたいたものを手早く脱ぐ。
美瑠の足を折り曲げて開き、はちきれそうに大きくなった先端をめり込ませる。美瑠の粘膜が侵攻を阻んで押し返そうとするのを、力攻めで降す。
一瞬腰が抜けそうな心地になり、小山田は美瑠の細い体に全体重を傾けた。
美瑠の体が軽く達したように波打つ。
小山田はゆっくりと美瑠を突き上げ始めた。己の鼓動の速さが動きを急かすが、なるべくゆっくり。
「あ……ぁっ」
喘ぐ美瑠はきれいだ。もっと見たい。こんなに明るいところで美瑠を抱く機会は、そうはないだろうから。
さっきの嫌がりようでは、腕の中の女がこんな不行状をそうそう許してくれるとは思えない。

ふた月だ。ふた月も会えなかったのだ。そして自分は十二分に戦功を上げたではないか。
これぐらいの褒美は許されよう。

小山田の動きが、鞭打たれたように速くなった。
激しく腰を動かしながら、大きく目を見開く。
己の体の下で美瑠が乱れている様を目に焼き付ける。

黒く大きな瞳が潤んでいる。
艶やかな頬が日を受けて輝いている。
細い腕が絡み付き、揺れていた乳房が小山田の胸に押し付けられる。
瞳が強く閉ざされる。逆に赤い唇が大きく開かれる。叫ぶ。

ついに小山田の視界がぶれて、目の前が美瑠の温かい肌の色一色に染まった
「美瑠……」
達する寸前、小山田が名を呼ぶと、美瑠はひどく満ちたりた息を吐き、小山田の背に強くしがみついた。

強い射精感に全身が痺れている間も小山田は目を開けたままだった。
美瑠の体は彼が与えた快楽に全身を収縮させ、やがてとろりと弛緩した。
愛しさが募って美瑠の湿った頬に己の頬を押し当てると、美瑠も体を小山田にすりつけてきた。
自然に言葉が口から零れ落ちる。

「美瑠……好きじゃ」
美瑠が熱い吐息を漏らす。
「好きじゃ」
美瑠の目がまぶしそうにまたたく。
「好きじゃ」
美瑠の目が潤む。
「好きじゃ」
美瑠の唇がうっすらと微笑む。
「好きじゃ」
美瑠の笑顔が、少しずつ泣きそうな顔に転じる。
「好きじゃ」
美瑠が目を閉じる。
「好きじゃ」
美瑠が顔を伏せる。
「好きじゃ……」


しばらくして美瑠が消え入りそうな声で言った。
「……わたくしも」

その一言で何もかも捨ててしまえそうな気になっている今の自分を愚かだと小山田は思った。
恐らく自分を欺いている女の言葉を──。

が、うぬぼれかもしれないが、さっき自分に抱かれている時の美瑠の顔を見ていたら、「好き」の一点に限っては信じていいのではないかと思えた。
ならば、迷うことなどない。自分はこの女に全力で騙されてやろうではないか。
小山田は美瑠の肩に唇を近づけ、彼女がおそらく今一番喜ぶ言葉を囁いた。
「あとで、藤王丸を抱いてやらんと、のう」
小山田がそう言うと、美瑠がぴくりと動いた。
「……はい」
美瑠が遠慮がちに体をすり寄せてくる。
その髪を撫でながら窓の向こうに見た太陽は、先ほどより随分高い位置にあった。
いい加減起きなければ、昼になってしまう。
だが、昨日夜道を進んでいなければ、自分はまだ勝沼を過ぎたあたりにいるはずだ。
ならば、もう少しこのままでいても構わぬだろう。
この心地よい不行状を続けるための屁理屈をひねり出すと、小山田は美瑠をしっかりと抱き直した。

小山田は幸せだった。そして腕の中の女もそう思っていてくれればいいと思った。


おわり

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