この度山本家の養女となった私リツには、悩み事がございます。
私自身はあくまでも山本家に『嫁入り』したつもりです。
何しろ甲斐のお舘様直々に、
「リツと申すのか…良きおなごじゃ。お主、勘助の子を産んでくれんか?」
と命ぜられた身でございます。
旦那様その人も、隻眼破足の爺と本人は仰いますが
どうして中々良き殿方です。
私に押されてあたふたしている所など、とてもお可愛らしくて
「戦の鬼」「謀を好む血も涙もない男」などという世間の評判は
本当に当てになりませぬ。
というわけで旦那様の子を産む気満々の私ですが、
当の旦那様ににその気がございません。
ならばその気にさせて見せましょう、と寝所に忍んでもここで問題が一つ。
私は武家の娘です。末娘として、父鬼美濃に大事に育てられて参りました。
いくら好奇心旺盛とは言え、閨事にはとんと縁がなかったのです。
もちろん、何処か他家に嫁ぐ際の嗜みとして一通りの作法は
年頃に母上に教わりはしたものの、作法は作法です。
積極的でない相手をその気にさせる方法など、あるわけもございません。
よって目下私の悩みは、
「いかにして旦那様をその気にさせる術を知れば良いか。」
に尽きていたのでございます。


「リツ、あまり元気が無いようですが何かありましたか?」
貝合わせの最中だというのに、無意識に溜息を漏らしていたようです。
於琴姫様に心配そうに声をかけられ、私は慌てて笑みを浮かべました。
「いいえ姫様、左様な事はございませぬ。」
「そうですか、私はてっきりあの山本殿と何かあったのかと。」
姫様はふんわりした方ですが、意外と鋭い所がお有りになられます。
ですが、閨事の事など姫様にお聞きするわけには…。
「山本殿は、中々寝所に誘って下さらぬのですか?」
突然悩みそのものを言い当てられ、驚いて姫様を見ますと
口に手を当てられ、ころころと笑っておいででした。
「まぁリツ、そんな顔をして。
私とて一児の母、それなりの推量はできますわ。
それにお舘様が『勘助は頑固でいかんな、あれでは少々リツが不憫じゃ』
と先日仰っておりましたゆえ。」
すっかりしてやられた私は、素直に心中を姫様にお話申し上げました。
すると姫様は小首を傾げられて、
「そうですね…いくら言葉や書物で知ろうとしても、
中々解りづらいものですから。あ、そうですわ!」
妙案が閃きましたわ、と姫様が嬉しそうに話された内容に
私は目が回りそうになりました。


「今宵丁度お舘様が、お渡りになられます。
百聞は一見にしかず、と言いますもの。
用意は致しますから、お舘様との閨事をこっそり見せて差し上げますわ。」
とんでもない!と必死にお断りしたのですが、
姫様は一度思い込まれたら聞いて下さらなくて。
その夜、私はお二人の睦言を拝見する事になったのです…。

翌朝、眼が真っ赤になった私を見て
心なしか艶が増された姫様は嬉しそうにお笑いになりました。
「どうでしたか?何か聞きたい事があれば、遠慮せずとも良いのですよ。」
「あの、姫様。その、御口で…」
「尺八のことですね。殿方を喜ばせて、
その気にさせるには良い方法だと思いますよ。
笛を縦に吹くようにすると良いようですね。歯は立てないで…」

姫様にみっしりと教えを受けた私は、その教えと
昨夜眼に焼きついた光景でふらふらの頭を抱えつつ屋敷に帰りました。
門をくぐると、おくまが気づいて駆け寄ってきます。
「リツ様、おかえりなさいませ!
今小県から、真田様ご夫妻がこられておりますだ。
旦那様は夜帰ってくるだに、リツ様がお相手してくだせい。」
真田様は、旦那様の昔からのご同輩でいらっしゃいます。
小県から泊りがけで、尋ねてこられることもよくあるのだそうです。
私は急いで、ご夫妻をお待たせしている客間に向かいました。


「おお、リツ殿。どうじゃもう山本家には慣れられたか。」
「本日はお世話になります。」
真田幸隆様と奥方の忍芽様。城下でも評判の鴛鴦夫婦でいらっしゃいます。
「お蔭様で、旦那様をはじめ皆に良くして頂いております。」
私がそうお返事致しますと、お二人は揃って不思議そうな顔をされ…
真田様は大笑いされ、忍芽様は苦笑いされました。
「旦那様、か!これは勘助の奴、未だに梃子摺っておるようじゃのう!」
「貴方、失礼ですよ。」
いつも中がよろしくて、羨ましい限りです。
いつも通りの私なら、この様な事は到底口に出せませぬ。
ですが今は、昨夜拝見した光景と於琴姫様の御指南で頭が一杯でした。
それ故、ついつい…。
「お二人はいつも仲がよろしくて、羨ましゅうございます。
なにか夫婦仲の秘訣はございますか?例えば閨事など…っ!」
途中で気がついて、口を押さえても後の祭り。
一瞬固まられた後、真田様はさらに大笑い。
忍芽様は、私を窘められるようなお顔をなさいました。
「そ、そうじゃなぁ。夫婦仲が良くないと閨事も上手くいかんものだからのう。」
「…リツ殿。勘助殿もお年ゆえ貴方を養子になされたのですよ?
そのお心を汲んで、婿をとられるまで良き娘であるべきです。」
母上の様な忍芽様にそう言われては、私も何も言えませぬ。
やがて日も暮れ、お二人は当家に宿をとられたのでございます。


その夜更け。どうにも寝付けずにいた私は、水を飲みに中庭の井戸へおりました。
冷たい水を口に含んで、寝所へ戻ろうとすると
何やら低く抑えたような声が致します。良く聞くと悲鳴のようです。
(まさか、お屋敷に賊が?)
それなら真っ先に、太吉達が起きてそうなもの。
真相を確かめる為、私はこっそりと声の聞こえる方へ向かいました。

どうやら庭に面した客間の辺りから、声は聞こえてきています。
そこまで近づけば、昨夜の経験上嫌でも声が男女のものとわかりました。
これはいけない、気づかなかったふりをして戻ろう…と踵を返した時。
「…あなた、何も山本殿のお屋敷でこんな…」
「リツ殿にあのような事を言われてはな。
きちんと道具も持ってきておる、案ずるな。」
己の名前が聞こえ、思わず振り返ると
月明かりの下うっすらと、障子にお二人の影が映りました。
「その様なこと案じては…んっ、あ…」
「違うのか?申してみよ忍芽…。」
足に根が生えてしまったかのように、私はそこから動けなくなってしまったのです。


翌朝、夜更けに長く屋外にいた為か私はどうやら風邪を引いてしまったようです。
真田ご夫妻をお見送りすることも出来ず、頭痛の為床についておりました。
風邪といっても頭痛の原因は、専ら昨夜見た影にございます。
その、影という形でもはっきりと、忍芽様のお身体に縄が掛かっているのが
見えてしまったのでございます。
(お二人は長く連れ添われ、忍芽様は真田様の為に
命をかけて敵陣に行かれたこともあるとか。
左様に信頼関係があるのなら、緊縛も愛情表現ということなのでしょうか)
閨事は奥が深い、深すぎます。

ここ数日で得た知識で頭が沸騰しそうになっていると、音も無く襖が開いて
「リツ様、薬が出来ましたので持ってきました。」
と真田の喇叭、葉月が入ってきました。
「葉月?わざわざありがとうございます。」
「山本様が『風邪に良く効く喇叭の薬は無いか、リツに飲ませてやってくれ』
と血相変えてまして、ひきとめられました。義娘思いの良い義父殿ですね。」
真田様に同行されていた葉月に、旦那様がその様な事を…。
やはり旦那様はお優しい方です。忍芽様にああは仰られましたが、
義娘として諦めることはできそうにありませぬ。


決意を再度固めていると、ひょいと葉月が覗き込んできました。
「ところで、リツ様。昨夜はまたどうして
真田様の御寝所を覗かれていたんですか?」
「…ゴホゴホッ!!」
頂いていた薬湯を思わず喉に詰まらせ、咳き込んでいると背中を叩いて頂きました。
「ご安心ください、真田様にも報告してませんから。
そりゃあ、あれだけ寒い中外にいれば風邪も引いて当たり前です。」
葉月は真田様の身辺警護をしている身、
昨夜の私の行動を知っていて当前と言えばその通りです。
観念して、私は経緯を全て葉月に話しました。

一通り話し終えると、葉月は腕を組んで軽く唸りました。
「真田様のあれは、確かに愛情表現だけど…あ、どうか他の方には御内密に。」
「はい、黙っています。」
頷くと、葉月の眼がきらきらと好奇心に輝きだしました。
「で、リツ様は於琴姫様にご教授された技で、山本様に挑まれるので?」
あからさまにそう口に出されると、やはり恥ずかしさが先にたちます。
それに実行に移すには、一つ問題が残っていたのです。
「それが…旦那様は私が寝所に入ってもお目覚めになりませんけれども、
お身体に少しでも触れるとすぐ眼を覚ましてしまわれるのです。」
どう考えても、教わったことを致す前に突き飛ばされてしまいます。
「成る程…山本様らしいっちゃらしいけど。」


首を捻って何事か思案していた葉月は、ポンと手を打ち鳴らして
「抵抗されるなら、相手の動きを封じてしまえばいいのでは?
リツ様、私が喇叭独特の手の縛り方を教えてさしあげますよ。」
またとんでもない事を妙案とばかりに聞かされ、今度は本当に眼が回りました。
「葉月、旦那様を縛るなんてそんな事…」
「何仰ってるんですか。緊縛だって愛があれば問題ないことは、
リツ様も昨夜見られたでしょう?」
昨夜の艶かしいお二人を思い出し、今度は頭にカッと血が上ります。
私の様子を興味深げに見ていた葉月は、今度は私の手を曳きました。
「喇叭の薬湯は即効性だから、もう効いてきたでしょう?
そうとなれば、見て覚えるのが一番!」

曳かれるまま寝所を出て縁側まで行くと、
其処には何時もの様に伝べえが昼寝しておりました。
「丁度いいところにいい獲物が。
リツ様、よぉーくご覧になっていてくださいよ。」
笑ってそう言うと、葉月は早速懐から縄を取り出し
猫のように伝べえに近づくと…あっという間にその手首を縛り上げてしまったのです。
「なぁっ?!お、おめぇ葉月!!一体なにするだ?!」
驚いた伝べえが手首を捩っても、一向に解ける気配がありませぬ。
これなら確かに、女の細腕でも殿方の動きを封じることができそうです。
「何するも何も…相変わらず隙だらけ。
そんなことで伝べえの主人の役にたてるのか?」
「う、煩いっ!屋敷で昼寝していて何が悪い!!
…何乗ってきてるだ、早くこれを解くだ!」
「嫌なこった。それぐらい自分で解けなきゃ、間者なんて務まらないよ?」
真っ赤になって怒鳴る伝べえに、何時の間にやら伸しかかって楽しそうな葉月。
何やらお邪魔のような気がして、
私はこっそり寝所に戻って床に入りました。


薬湯の御蔭か、ぐっすり眠って夕刻に眼を覚ますと
おくまが白湯と、珍しい練り菓子を盆に載せて持ってきてくれました。
「おくま、その菓子は?」
「ああ、これは旦那様が。
『リツが眼を覚ましたら、食べさせてやってくれ』だと。」
朴念仁の癖に妙な所だけ気が回るだな、と笑うおくまと一緒に笑って
私はその、甲斐では滅多に手に入らない菓子を口に入れました。
ほんのりと甘さが口の中に広がり、溶けて消えてゆくそれはとても美味。
「リツ様、元気になっただか?」
「ええ、とても。旦那様にはお礼をしなくては。
おくま、縄を一本持ってきて欲しいのだけど。」
「?それでお礼をするのけ?」
おくまの訝しげな問いに、私はにっこり笑って答えました。


その翌朝。
旦那様の悲鳴ともなんとも付かない声が、山本家の屋敷に響き渡りました。
太吉たちは
「どうせいつものことずら。」
と、寝所には来なかった様でございます。

さらにその夕刻。
心なしか煤だらけになった伝べえが、私の元へ訪れました。
「リツ様、一体旦那様に何しただ?うら、
『葉月は一体何をリツに吹き込んだ!!喇叭縛りなんぞ仕込んで、
なんのつもりだっ!!』って旦那様に城の中庭で、種子島の的にされただよ。
あいつのやったことで、うらを責めてもどうしよーもねえだに。」
ぼやく伝べえに手ぬぐいを渡しつつ、私は首を傾げます。
「さぁ、腕を縛った時は確かに随分と驚かれておられました。
でもその後は、喜んで頂けたと思っておりましたけど…?」
ただ、拙いながらも於琴姫からご教授された技を駆使しておりましたら
息を荒げて涙目になった旦那様に
「リツっ…本日はどうしても、朝一番に出仕せよと、お舘様が…
だから、ひとまず離れてくれっ…」
と仰られて致し方なく離れて、縄を解いて差し上げたら
物凄い速さで仕度されて朝餉も取らずにお屋敷を出て行かれたぐらいで。
「殿方は、途中で止められるとたいそう辛いとお聞きしました。
それでご機嫌が悪かったのでしょうか?」
考えつつ伝べえを見やると、何故か目頭を押さえています。
「旦那様…道理で泣きながら種子島を構えてただか…。
うら、今回ばかりは旦那様に同情するだ…。」
「?」

私の悩み事は、ひとまず進展した様でございます。
旦那様が帰ってこられましたら、是非今朝の続きをして差し上げないと。
そしてゆくゆくは、旦那様のお子を産んで差し上げねばなりません。
「勘助…、このままだと心労で禿げるんでねえか?」
「??」

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