浪の内掛け姿は、さぞ美しかろう。
それを見たいと願ったは、やはり仏の怒りに触れる欲であったか。
知らず知らず心を許していた侍女は、
上洛した際の土産を受け取ることなく己の前より姿を消した。
その訳を今になって悟ろうとも、もう詮無き事だ。
二度目の上洛より越後に戻り、館に帰った景虎は
浪が何時ものように出迎えに来ない事をいぶかしんだ。
父である実綱に言い渡され景虎の侍女となってからは
日々欠かさず、景虎を出迎えていた浪である。
「何処ぞに出かけておるのか…?」
以前京より持ち帰った土産を手渡した時の、
清楚な蕾が綻ぶ様な笑みを脳裏に描いていた景虎は
無意識に眉間の皺を深くする。
それでも浪が帰ってからで良かろう、と直に意識を
上洛中に起こった内政、外圧への対処に切り替えた。
しかしどれほど時が経とうとも浪は帰ってこず、
身の回りの世話はするものの浪ほど勝手のわかっておらぬ
侍女に苛立ちすら覚えだした頃、直江実綱が館に現れた。
「お舘様、お疲れの所申し訳ござりませぬ。」
何時になく落ち着かない様子の重臣に、何があったかと向き直る。
「武田に動きがあったか。」
「違いまする、我が娘の事ですが…」
「浪が、いかが致した。」
思いがけず気に掛けていた名を耳にし、景虎は眼を見開いた。
額一杯に汗をかき、俗物ではあるが優秀な重臣は平身低頭する。
「申〜し訳ござりませぬ!あの不心得者が、わしが眼を話した隙に
何処ぞの寺へ出奔したようで。」
「…寺へ、出奔しただと。」
「はい、お舘様に終生お仕えすると申しておきながら真に情けない。
何やら『出家する』と書置きだけが残っておりましてな。
今、何処の寺に居るのか探しておる所です。全く一体何が不満だったというのか…」
京にたつ前、土産は何が良いかと聞いた際の浪の顔が浮かんだ。
何もいりませぬ、どうかご無事でと笑った顔。
良き縁談は無いか、と宇佐美に尋ねた際の
「浪は結婚など望んでおりませぬ、お舘様に生涯お仕え致します。」
とどこか泣きそうであった顔も。
「…その必要はない、実綱。浪は仏の教えに帰依したのであろう、
ならば無理に引き戻す事は御仏の意思に反する。」
「は、しかしそれでは…」
「浪は良くわしに仕えてくれた。
それに免じ、今後は浪の思うままにさせてやっても良かろう。」
首を捻りながらも退出していく実綱を見送り、景虎は酒を用意させた。
独り、器を干しながら京より持ち帰った内掛けに思いを馳せる。
浪の内掛け姿は、さぞ美しかろう。
それを見たいと願った。その横に座する男は、
有能で長尾を裏切らぬ家臣であれば良いと思った。
しかしそれは、仏の怒りに触れる我が欲。
浪が己の前から永遠に姿を消したは、仏罰なのであろう。
内掛けを羽織る浪より、土産を受け取り微笑む浪が見たかったのだと
今更気づいても詮無き事だ。