夕焼けに染まった躑躅ヶ崎館の庭、砂利の上には向かい合った二つの影が長細く伸びている。
片方は少女の影で、もう片方は男の影であろう。小さな男の影は跪いて俯いている。

「梅姫様…そろそろ日も沈みましょう、お部屋へ」
「嫌じゃ。…まだ戻りとうない」
俯いていた男は顔を上げ、心配そうに主君の娘、梅姫を見上げた。
「御身体に障りまするぞ、近々御嫁ぎになられ…」
「その話はするな!」
澄んだ、高い怒声が庭に響き渡る。池には波紋が広がった。
飯富は肩をすくめて戸惑う。
「…飯富、私は政(マツリゴト)の道具なのか?」
そのすくめた両肩に白く華奢な手が置かれる。
「いえっ!さような事は断じて!」
「では私は何のために嫁ぐのじゃ?」
口を開くが、飯富には次の言葉が浮かんでこない。

「……クスッ」
小さな姫は不意にクスリと花の様に笑った。
跪いたままの家老は状況がよく理解できずに目をパチクリさせている。
「戯れじゃ、飯富」
「戯れ…?」
戦場では甲山の虎と恐れられる飯富だが、なんとも素っ頓狂な声が出た。
そんな飯富を見て、また姫は楽しそうに笑う。
「私は大丈夫じゃ、覚悟も出来ておる。少し我が儘を言ってみたかっただけ」
そう言って肩から手を離して微笑んだ梅姫の顔にはどこか寂しさが漂っている。
「…部屋に戻る」
夕闇が迫っている。庭には涼しげな風が吹き抜け、姫は静かに背を向けた。
二つの影が遠くに離れたように見えた。
小さな背中は微かに震えており、それを見てこの姫は本当は甘えたかった、
本当は不安に押しつぶされそうだという事を飯富は悟った。




「飯富っ…?な、なにを…?」
いきなり後ろから抱きしめられた梅姫は戸惑いを隠せない。
「姫様……この飯富がどんな時も、必ずついておりまする…」
ひしと腕の中に温もりを感じながら優しく語りかける飯富。
とたんに少女の中にあった不安や我が儘なものが涙となって溢れ出す。
片手で優しく姫の頭を撫でながら、飯富は微笑んだ。


日はもう沈み、藍色の空にはほんの少しだけオレンジの夕日の余韻を残している。
「泣いたらスッキリした」
溜め込んでいたものを全て涙として流した姫の目の回りは赤い。
向かい合って立っている飯富は無言で優しく頷いた。
「飯富、」
急に真面目な顔になり、梅姫は飯富の目を見つめた。
「はっ…」



いきなり胸倉を掴まれ、バランスを崩した飯富の額に柔らかなものがそっと触れた。
まだ薄く残る二つの影が、一つになった。

「…ありがと」
幼子の様な無邪気な笑みを見せて、少女の影は走り去った。
小さな男の影が一つ取り残されている。額に触れてみて、頬を赤らめて俯いた。

夜の風が、火照った男の頬を心地よく撫でて、過ぎていった。

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